下界へ降りてきました

先日の日曜日に4日間籠っていた養生園、有明山から降り、その足で念願の諏訪大社4社をまわり下界へ戻ってきました。

今回は最寄りの安曇追分駅から徒歩1時間半かけて養生園へ。

前日は松本は梅雨入りして雨でしたが、翌日はかろうじて晴れたり曇ったり少しだけ降ったりでしたが、雨上がりの清々しい空気の中で1時間半かけてのウォーキングは心地の良いものでした。

今回は最初に有明神社へお参りをさせていただきました。(去年はお参りしなかったせいか、講義があまりに衝撃的だったせいか、山の強さのせいか、3日間頭痛が続きました、、)そのお陰か慣れのせいか、今回は4日間心身ともにいい状態を保ち、集中して勉強と実習を深めることができました。

 

ほぼ食事しか写真撮っていませんが、、、笑

和洋中印、と、バラエティに富んだマクロビオティック食は、見た目ももちろんのこと味もとても美味しく優しく、1日2食の食事はいつも楽しみでしょうがないです(山籠りしてもなかなか食欲は尽きません、、)。本当に手が込んでいて丁寧に作られていて、毎回感動します。

 

養生園は里の家と森の家と新棟があり、プログラム中は携帯の電波もwi-fiもない森の家に滞在しました。

ほぼ丸3日、そうした電波からも離れ、日常から下界からシャットアウトされた環境で過ごすのは、膨大な量の電波と情報量の中で生活している私たちにはとても必要な気がします。

 

森の中で鳥のさえずりや滝の音を聴きながらのヨーガ実習は、夢かうつつか、意識があるのか無いのか、意識と無意識の境目にずーっと漂っているようななんとも言えない心地よい状態で(半分寝ていたのかも、、、笑)体の奥深くに残る緊張までもが解けていくような感覚でした。ここまでの感覚は、なかなか普段の生活の中では持っていけないレベルなので、たまにこうした環境に何日か身を置くことは心身を最適に保つのに不可欠に思えます。

 

PCやスマホで言うと、アプリや写真や動画などが増えすぎて処理能力が落ち、フリーズしたり動作不良を起こしている時に強制終了、あるいは完全に工場出荷時の状態に戻す初期化するような感じですね。

 

とにかく膨大な情報社会に生きている私たちは、特にスマホが普及してからは朝起きてから夜寝るまでずーーーーっと肌身離さずスマホくんが側にいて、スマホからの情報、そのほかテレビや雑誌、街や電車の中の広告などからの延々と止むことなく溢れ続けて入ってくる膨大な情報を、海馬くん(脳)は休まることなく処理し続け働き続けているので、いっぱいいっぱいになっているのが現状です。だからこそ「脳を静めたい」という世界的な欲求の大きなうねりから『マインドフルネス瞑想』のブームが来ているのではないか、と聞きました。

 

山の中で下界の音や電波からシャットアウト環境でヨーガ実習を行うと、都会で行うよりも数十倍も効果があるように感じます。自然と心はすーっと静まり、自分自身に戻っていく。ゼロのポイント。まさに、ヨーガの目指す「サマーディ」にグッと近づくような気がします(実際ほど遠いのでしょうが、、、)

 

 

下山した後は、念願の諏訪大社へ。

前日少し雨が降りましたが、最終日はスカッと晴れ、諏訪大社へ向かう途中はアルプスなど美しい山々を拝むことができました。お天気万歳!

 

yoganomaの住所は「諏訪」で諏訪神社が近くにあるので、いつか総本社の諏訪大社へご挨拶へ行かなくては、、と思っていたので、この機会に4社ともお参りさせていただきありがたい限りでした。連れて行ってくれた友人夫婦には本当に感謝です。

 

一番好きなのは上社の前宮でした。どうやら一番古い社らしいです。やっぱり古いもの、伝統的なものに自然と惹かれてしまう、、縄文の匂いが漂っていました。。。

 

こちらは最初に行った下社の春宮の御柱。

いつか、かの有名な御柱祭、行ってみたいですね。

 

日曜に下山した後、今日木曜は初の東京出勤。

 

 

なんだか体が重だるい、、、、、、

やはり電波障害でしょうか、、、笑

 

仏像彫刻とヨーガWS行いました

先週土曜日4/29にヨーガと仏像彫刻体験ワークショップを行いました。

https://amarananda.wordpress.com/2017/03/25/yoga仏像彫刻体験ワークショップ〜集中力の深淵に/

 

GWの初日でありながらほぼ満員御礼で大変多くの方にご参加いただき、中には東京都内から、横浜、千葉、茨城、群馬からと、半数近くの方がはるばる遠方から足をお運びくださりました。ご参加いただいた皆様には心から感謝いたします。

 

当日は、まず仏像彫刻の基本である『珠』の彫刻体験から始まりました。

まず講師による彫り方の説明。

非常に良く切れる彫刻刀を使っての作業は自然と集中力も深まり、ほぼ皆さん休むことなく黙々と珠を彫り続けていました。皆さんにとってはあっという間の1時間半だったようで、もう少しやりたい、という声も多くあったことから、結局プラス20分くらい時間をとりました。

そして、少しお茶を飲んだり一息した後、ヨーガレッスンへ。

今回のワークショップのサブテーマが『〜集中力の深淵に触れる』だったため、アーサナ(ポーズ)は最低限少なめに行い、よりプラーナヤーマ(調気法)と瞑想法を長めにとりました。

彫刻での緊張と疲れのせいか、アーサナやシャヴァアサナ(屍のポーズ)の時に完全に眠りに落ちていた方も多くいらっしゃいましたが、最後の瞑想法の時は皆さんとても深く集中されているように見えました。

 

終わった後に皆さんに一言ずつ感想をうかがうと、彫刻で非常に集中したせいか、ヨーガでもいつも以上に深く集中できた、という方が何名もいらっしゃいました。そして、それぞれに深い『インナートリップ〜内なる旅』をされていたようで、とても神秘的でユニークでスピリチュアルな感覚を体験された方もいたようでした。集中 x 集中で、いつも以上により微細な感覚世界へすーっと入っていけるのかもしれないですね!私も彫刻一緒にやれば良かった!笑

 

終わった後は皆さんで、ホームメイドのマクロビ系バナナチョコくるみマフィンやビーガンクッキー、穀物コーヒーやハーブティなどをいただき、ほっこりまったりゆるみながらお話をして終わりました。

 

 

後日また何名かの方にお話を聞いたところ、その日はいつも以上にすごくぐっすりよく眠れた!とのことでした。

 

この『彫刻とヨーガ』という全く新しい組み合わせは、とても効果的だったようです!

ぜひ、またやってほしい、というお声もいただき、また、参加したかったのだけど都合が悪かったから次回ぜひ!という方も何名もいらしたので、今年の秋くらいに第2回目のヨーガ&彫刻コラボ WS行いたいと思います。

 

皆さんの珠の写真を撮るのを忘れてしまいました!!残念!

また次回をぜひお楽しみに。

 

 

 

 

 

ひさびさインド旅 #07 〜 SIX SENSE 第六感の国

一つ前のブログに続き、デイジーとの対話をここでシェアさせていただきます。

@Ahimsa lounge & dining room

 

アヒムサのオーナーであるデイジーはとても情熱的で行動的で、私たちがより良い生き方をできるために、この世が平和へ向かうために自分はどうしたらいいか、どう行動したらいいか、と常に考え行動されている方です。私もいくら世界が平和になって欲しい、と思っていても、このように直接的にはっきりと口に出して話したり、実際にそこまで行動することは未だできず、素晴らしい考えと行動力に感銘を受け、とても刺激を受けました。

 

 

少し長いですが、とても哲学的であり感慨深い内容で、また、インド好きには「だからインドなのか!!」と思わせる言葉が詰まっていますので、ご興味のある方はどうぞお読み下さいませ。

 

Ganesh in the lounge

 

まずデイジーに、あなたにとって「Silence 沈黙」とはなんですか?

という質問から始まりました。

 

Dialog with Daisy @Ahimsa

私はアクティブな人間です。いつも何かをしていないといられません。それはなぜかというと、私はとても理想主義者だからです。私たちが本当にトライすればこの世界はあなたにとっても、私にとっても、より良い世界になるはずです。ですから、人間や植物、動物など生き物が傷つけられているのを見ると、私は何かをせずにはいられないのです。

「沈黙とは?」と聞かれたら、私には2つか3つのタイプの沈黙があると言えます。中でも私が経験する最高の沈黙は、日の出前に木々の中を歩く時です。その時マインドは沈黙し、私は木々や鳥など人の手によって作られていはいないものすべてに委ねます。木々が私に話しかけ、鳥たちが私に唄いかけるようにと。言い換えると、それはグルの言葉に耳を傾けるようなものです。それは私にとってこの上ない沈黙と平穏です。私のマインドが鎮まり、沈黙する唯一の瞬間とも言えます。そしてある思考が自発的に湧き上がってきます。”CALM THE CHAOS” -カオスを鎮めよ- 私はこのカオスを自然と共に鎮められる気がするのです。そして音楽が聴こえ始め、この人生はなんと素晴らしいのだろうと感じます。この葉のデザインを見てください!そうしたことが私を幸せにしてくれるのです。そしてマインドは見ることをやめ、沈黙に入っていきます。その時私はもう、マネージメントや子供のことなど、何も心配することはなくなります。これが一つのタイプの沈黙です。

別の沈黙は、マインドはいつも ”これは有意義だろうか?私は正しいことをしているだろうか?私が今していることは効果があるだろうか?” と止むことなく自問自答しています。

その思考が止まる時、そこには何もなくなり、マインドは静かになります。それは多くの場合ジャパ(マントラを繰り返し唱えること)をしている時に起こります。ジャパをする時マインドは沈黙し、とても気持ちが良くなります。そして、もうそれ以上”私は有意義なことをしているだろうか?”という問いかけをしなくて済むのです。なぜかというと、そうしているとある答えを受け取るのです。”それはあなたではない、あなたは”それ”ではない!あなたは大いなるものの一部であり、そこに置かれ、するべきことをするだけ。” そうして心配はなくなっていきます。物質的レベルに入ると植物や子供のことなどあらゆることを心配し始めてしまいますが、またそこに戻ると私のマインドは再び沈黙に入るのです。

他に、実際に瞑想をしている時(ほんの数秒しかできませんが!)、集中をしていると、突然自分が瞑想していることを忘れてしまう瞬間があります。私はとにかく行動をする人のため、自分自身を静まらせることが継続的に必要でなのす。

これらが私が感じる沈黙ですが、その中でも最も大事なのは、自然と共にある時です。

私にもしこれがなかったら、もし私が自然について学ぶことをしなかったら、恐らくものすごく気落ちしてしまっていたでしょう。

自然には鎮静作用があります。世界中の多くの悲しみは、私たちがこの素晴らしい魔法を無視していることが原因です。私たちの唯一の任務は、ここに生き、それを感謝することです。”あなた”として生まれたという、なんというチャンス!そしてこの葉っぱを見るというチャンス!そしてこの素晴らしいものに気づき、それを次世代へ繋いでいかなくてはいけません。一体いくつの葉の形が存在するのでしょう!これはもう魔法です!だからこそ、私は沈黙を愛するのです。私には土地があり、多くの植物や動物に囲まれ、こうしたことをできる機会を与えられたことを、心から神に感謝しています。まるで宝くじに当たったかのように、私は幸運だと思っています。ですから、私には何も不平がありません。何が起きたとしてもそれを受け入れ捌く準備ができています。そして、人々がこうしたことから希望を持つことを私は望んでいます。インドはそういう意味ではとても特別なところです。

 

私は17年インドに住み、その後37年アメリカに住んでいますが、なぜ私はインドに戻り続けるのか、なぜインドに魅力的を感じるのか。

それは、インドという国は、表層的なものに囚われてはいけない、ということに気づかせてくれる唯一の国であるからかと思っています。だからこれほどまでにこの国は混乱しているのだと思います。町へ出ると、人々はゴミを投げ捨てたりで道は汚くひどい状態ですが、ひとたびお店に入ってみると中は美しく、全てが揃っている。彼らにとって表面的な印象はどうでもよく内側がよければいいのです。ただ、これはとても低いレベルの話ですが。

高いレベルでは、そこのテラスの上に立つと、毎日のように寺院や教会、あちこちで様々な祭や花火などが行われていることに気がつきます。この国は他のどの国よりもそうしたことを行なっています。道は汚いかもしれませんが、人々はとても近しいのです。例えば、家族に何か問題があれば、オフィスマネージャーは雇用者にそれを優先するよう促します。だんだんと西洋のように変化してきてしまっていますが(それを私はとても悲しく思います)、彼らにとってはボーナスをもらうよりも家族が一つになることの方が大事なのです。西洋では、すべてが良く見え、豪華に見え、完璧に美しくドレスアップしなくてはならないですが、インド人にとってはそれは重要ではなく、社会的なことと霊的な面の方がより重要なのです。西洋は非常に物質的世界であり、インドもだんだんとその方向へ向かってしまっていますが、私はそうならないことを強く願っています。もしインドも西洋化してしまったら、他にそんな国はもう残っていないのです。だからこそインドは魅力的であり、どんなことが起こったとしてもここには平和があるのです。ここでは、”あの人が私をジャッジしている、この人も、、”と感じることはないのです。

私は一体 ”それ” は何なのかを考えようとしているのですが、それは恐らく、現存する世界最古の哲学なのかもしれません。それは科学とも争うことなく、数学とも争うことなく、それは物質的な世界と霊的な世界を一つにする哲学です。他のどんな哲学でもそれはありえません。古代インドの哲学 ”サンキャ哲学” のサンキャは数字という意味があり、それは数字の哲学です。ですから物質的なものと霊的なものとの間に争いはないのです。

これはエネルギーの哲学であり、ビッグバンで始まります。一体他のどの哲学にそこからスタートするものがあるでしょうか?何千年も後になって人々はそれを発見しました。

こうした人々は第六、第七次元を知っていたのだと思います。そしてここ、インドには、数グラムほどの第六次元がある。だからこそ、私たちはインドへ戻ってくるのです。

 

そう、それは “SIX SENSE” 第六感です。

 

それこそが人々を魅了するのです。プラチックの花と本物の花に違いがあるように、西洋では全てが完全であることを心がけ、全てはよく見え、そしてたくさんの花がありますが、何かが欠けている、何かが足りない。

そこには ”香り”がないのです。

 

ここのアーユルヴェーダのドクターはとても謙虚でいて科学的、そして同時に霊的でもあります。西洋の医師である私が勉強したものよりよほど高度な医学です。彼が体に触れるだけで体内のどこに問題があるかがわかってしまう。私たち西洋の医師はそんなことは知りませんでした。だからこそ私はそこに魅力を感じていますが、インドはそれを失いつつある危機にあります。そうした優れた人々は一握りになってきて、だからこそ、死にゆく木々がその種を飛ばして生き残りを図るように、そのエッセンスを自国へ持ち帰らなくては、と感じているある一定の人々が世界中からインドへとやってきているのだと思います。

私は次世代のことをとても心配していますが、実はそれは私が心配するべきことではないのです。なぜなら、自分が行動すること以外に一体私に何ができるでしょうか?ですから、心配は無用なのです。

だからこそ、沈黙が重要なのですね!

あなた方がここで良い旅をされるよう祈っています。

そして、どうぞアヒムサを、そしてここの植物たちを思い出してくださいね。

坐禅/瞑想のすすめ

少し前の新聞にこんな記事がありました。

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MacやiPhoneなどのApple創始者スティーブ・ジョブズも坐禅を組んでいたことで有名、とありますが、もともと坐禅文化は古くから日本に根づいていたもので、近代化とともに忘れ去られた日本の古き良き文化や伝統が戦後に海外(特に西洋諸国)で脚光を浴び、海外の有名人たちがそれをやっている、と聞くと私たち日本人はハッとして自分たちの文化の素晴らしさを思い出す、ということは本当によくあります。マクロビオティックも元々は日本で、マドンナなどセレブが取り入れて逆輸入されたようなものでした。霊氣(レイキReiki)もまたしかり。ミーハーな私もその気づかされた一人です笑。海外に住み、海外の方々が日本の文化や伝統を賞賛しているのをみて初めて、その素晴らしさを再確認あるいは発見させられたものです。

 

私も散々インドやネパールでヨーガやヴィッパーサナ瞑想やチベット仏教を学んでまわりまわって地元に帰ってきてみたら、菩提寺(先祖のお墓のあるお寺)で坐禅会をもう30年近くも毎週やっていたのを知り、灯台下暗し。。と思ったのを思い出します。

 

しばらくアーサナ(ポーズ)よりも瞑想練習にハマっていたときは、インドやネパールへ行っても瞑想コースばかりをとっていたくらいで、やっぱりアーサナもプラーナヤーマ(呼吸法)もすべて瞑想のためだったのかー!と思っていました。実際ヨーガの八枝則の最終段階一つ手前がディヤーナ(瞑想)で、ダーラナ(集中)を極めると自然と瞑想状態に入っていくと言われています。なので、集中は「する」もので、瞑想は「くる」ものだと、Ken Harakuma先生もおっしゃっていましたが、本当にその通りだと思います。

 

【ヨーガの八枝則】

ヤーマ(禁戒・道徳律)

アヒムサー(非暴力)サティヤ(正直)アステーヤ(不盗)

ブラフマチャリヤ(禁欲)アパリグラハ(不貧)

ニヤーマ(勧戒・浄化と学習)

シャウチャ(清浄)・サントーシャ(知足)・タパス(苦行)

スワディヤーヤ(聖典読誦)・イーシュワラプラニダーナ(自在神への祈念)

アーサナ(座法・ポーズ)

プラーナヤーマ(調息・呼吸のコントロール)

プラティヤーハーラ(五感の制御・感覚のコントロール)

ダーラナ(凝念・集中)

ディヤーナ(静慮・瞑想)

サマーディ(三昧・自己実現・悟り)

 

最近坐禅会もたまに20代の若い方々が参加されたり、大学生の女性が参加されたり、まだ数年しかやっていない私がこんなことを言うと長年の経験者に「何を偉そうに!」と言われそうですが、坐禅がスティーブジョブズのお陰で(?笑)若い世代にも広まってきたのは喜ばしいことだなと思います。

 

でも、ヨーガを練習している多くの方々の中でもまだヨーガと瞑想(または坐禅)がなかなか結びついていないどころか、全く別物と思っている方が多いのではないかと感じてしまいます。どうしても、1時間〜1時間半のクラスの中で瞑想を取り入れることは難しかったり、まだあまり瞑想というものが受け入れられていないような現在のヘンなただのエクササイズ的なヨーガの傾向がありますが、やっぱり瞑想はヨーガの練習の中でも最も大事なひとつであるし、私自身も大好きなので、そのうち『プラーナヤーマ&瞑想』というクラスをhifumi yogaでも設けたいと考えているところです。「禅」という言葉自体、ディヤーナ→ディヤン→デン→ゼン のようになったらしく、もともとヨーガの「ディヤーナ」から禅が生まれたとも言われています。

 

なかなかヨーガクラスの中で瞑想練習を取り入れるのはむずかしいですが、ちゃんと練習してみたいという方には二つおすすめがあります。

1. 曹洞宗や臨済宗のお寺で定期的に坐禅会をしているところがあるので、近くで探してみる。

熊谷近辺の方は、私が参禅している熊谷の東竹院で、毎週日曜日朝8:00〜9:00くらいまで行っていますので、ぜひご参加ください。私はその前の7:15〜7:45で坐禅のためのからだほぐしヨーガを指導していますので、こちらから参加されたい方はご連絡ください。

2. ヴィッパーサナ瞑想(10日間)コースに参加する

ゴエンカ氏によって世界中に広められたヴィッパーサナ瞑想は、ものすごい強力な瞑想コースです。これは苦行です笑。10日間1日10数時間坐り、話しちゃダメ、人と目を合わせてもダメ、本で読んでも書いてもダメ、携帯PC一切ダメ、ヨガ(アーサナ)もダメ、とにかくひたすら自分と向き合うのみというスパルタ修行。身体の酷い激痛やら内から湧き出てくるよくわからん色んな苦痛で、とにかくものすごいキツくて逃げたしたくなったり発狂したくなったりもしましたが(実際インドではそんな人もいました)、何ものにも代え難い非常に奥深い体験で、大きな気づきを得ることができました。つい先日、友人がヴィッパーサナ瞑想を終えてきて「ものすごい時空の旅だった!」とメールがきました。あの体験は経験者にしかわからないスゴさなので、経験者と話をすると深い部分で共感でき、また刺激を受け、私も久しぶりにヴィッパーサナまた行きたいなと思っているところです。

 

ヴィッパーサナ瞑想センターは日本では京都と千葉の2箇所あります。これはヨーガ練習している方には特にぜひ体験してほしい!もちろんヨーガを練習していない方ももちろんですが!

ヴィッパーサナ瞑想

http://www.jp.dhamma.org/940.html?&L=12

 

6年前にヴィッパーサナを受けた後のブログがまだ残っていたので、若気の至りかもしれませんが(笑)、意外とインド旅全体読み直すと面白いので、おヒマな方はご覧になってみてくださいね。

http://blog3.enishi.biz/?month=201002

 

 

 

坐禅会のヨガ 2月はお休みします

埼玉・熊谷の東竹院にて毎週日曜日8時からの坐禅会の前にヨーガレッスンを7:15〜7:45まで30分ほど行っていますが2月はお休みさせていただきます。また3月から再開いたしますので、ぜひまたご参加ください。

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なお、坐禅会は引き続き2月も毎週日曜日8時から行われる予定です。

この時期のお寺の本堂は石油ストーブ5,6台置いてありますがほとんど効いていないんじゃないかと思うくらい極寒です。しかも裸足で行いますので廊下を歩くときは氷の上を歩いているかのようにひや〜っ。。。と芯から冷え上がります。ですが、なぜか一度坐ってしまうとほとんど寒さを感じなくなってしまうのが不思議です。呼吸を深くして集中すると寒さも寒さと思わなくなるのでしょうか。しかもこう寒いと頭もシャキッとして集中しやすくなるので気持ちよくさえ感じてしまうときもあります。眠気との戦いの時も多々ありますが。。

 

こんな修行をしてみたい方はこの時期ぜひおススメです。

 

 

東竹院のトラミはたまにヨーガに参加して、みんなの足をなでまわしたり、頭突きしたりしながら指導をしてくれます。とっても可愛くて癒されます。

そしていつも優雅に坐っています。。こんな境地になりたいものです。

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満月の瞑想会

9月9日。

陰陽思想で陽数の極である「九」が重なり大変目でたい日とされている重陽の日。

そしてスーパームーン◯満月。

 

こんなエネルギーが非常に高い日に、月一回プライベートレッスンで出張している方よりぜひ冥想会を行いたい!というご希望があり、開催していただきました。

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6名の皆様ほとんど瞑想や坐禅も経験がないとのことで、まず何もインストラクションなしに5分坐っていただき、その後からだをほぐす動き、ヨーガの簡単なアーサナ(ポーズ)、プラーナヤーマ(調気法)を行った後、最後にまた30分弱坐っていただきました。

 

ヨーガには8つのステップがあります(ヨーガスートラ・ヨーガの八支則)

1 ヤーマ(禁戒)非暴力、正直、不盗、梵行、非所有

2 ニヤーマ(勧戒)清浄、知足、精進、読誦、自在神祈念

3 アーサナ(体位法/ポーズ)

4 プラーナヤーマ(調気法/呼吸法)

5 プラティヤーハラ(制感/五感の制御)

6 ダーラナ(凝念/集中)

7 ディヤーナ(静慮/瞑想)

8 サマーディ(三昧)

 

からだが調っていないとこころも揺れやすいものです。ただただ坐っても、からだがこわばっていたりゆるんでいないと痛みやからだの置きどころなどにこころが奪われやすく、集中などほど遠く感じます。ヨーガでは、まず粗いからだからから入り徐々に繊細な、微細なパートへ働きかけます。からだの次に呼吸を調え、外側ばかりに向いていた意識、五感を内側へ向けていくステップを踏みます。プラティヤーハラからは内なる部分の訓練となり、それは一点集中へとつながり、瞑想、三昧へとつながっていきます(三昧どころか瞑想へもほど遠いですが。。。)

 

今回の瞑想会ではそれを特に感じていただこうと思い、始めにただ坐り、アーサナ、プラーナヤーマの後にまた坐ることでどれだけ集中度が変わるかを体感していただきました。

みなさん、最後に坐ったときは最初よりも安定し、上がっていた気がぐっと下におりてどっしりした感じ、などと変化を感じていただけたようでした。ただ、「全然集中できない!」「眠気が。。。」という声も多かったように思います。

 

瞑想練習をしてはじめて、心がどれだけ常におしゃべりし続けているかを初めて知るものです。今まではそれすらに気がつかなかった。ただただ、外にあるもの、外からの刺激にこころを囚われ、こころがどんな状態であるかも気がつかなかったのが、静かに何十分も坐ることで初めてそこに気がつく。それこそが瞑想のスタートだ、と私のヨーガの先生も話していました。そして、その次から次へと揺れ動く心、マインドに囚われず、ただただ、その動きを映画でも観るように客観的に流していく。どんどん流せるようになると心の波がだんだんと静まっていきます。

 

私たちはどうしても外からの刺激によって揺れ動く心、マインドに常に揺らされてしまいがちです。

特に今この情報社会、常にマスコミや広告が氾濫し、スマホを持つことで途切れることのない多大な情報や刺激を受け続ける毎日の中で、ほんの数分でも、こうしてからだを調え、呼吸を調え、ただ坐り、心の波を静めていく時間をとっていくことがどれだけ必要か、強く感じずにはいられません。

ほんの数分でも心の波が静まったとき、湖の波が静まってクリアになったとき初めて底が見えるように、心の底の部分、自分の本質に立ち返ることができるのです。そして無意識レベルではいつも私たちはそこを求めているように思います。

 

私は毎朝プラーナヤーマをし、その後数分でも静かに坐るように心がけています。そして週一回、毎週日曜日の朝、熊谷にある東竹院で行われている坐禅会へ参加するようにしています。その坐禅会前30分からだをほぐす程度ですがヨーガのインストラクションも行っています。

 

意外と近くのお寺で坐禅会を行っていたりするので、ご興味ある方はお近くの禅宗(曹洞宗や臨済宗など)のお寺に問合せしてみるといいと思います。週一回でも、お寺などの厳かで清々しい空間で40分坐るのもいいものです。からだとこころを浄化してまた新たな1週間を始められます。日曜朝はものすごい睡魔に襲われることも多々ありますが。。。笑

 

ヴィッパーサナ瞑想センターでの10日間の瞑想コースもおススメです。

話してはだめ、目を合わせてもだめ、書いても読んでもだめ、携帯もPCもない。

残されたのは自分のみ。

そしてただひたすら坐るだけ。

坐ってひたすら自分と向き合うのみ。

ものすごいきっついですが他では得ることのできない経験ができると思います。

ww.jp.dhamma.org/index.php?L=12

 

 

瞑想会を行いたい方、出張レッスンもできますのでご連絡ください。

brillantiempo@gmail.com

 

aum shanti

 

 

 

想いをともにする日

あれから3年。

昨日のひふみよがクラスには、久しぶりに13名と多くの方々が参加してくださいました。

クラスの最初にマントラaumを3回唱えた後、黙祷を行いました。

そしてクラスの終わりには、いつものマントラですが改めて意味をお話しし、

被災者の方々の平和と、自分たち自身の平和のためにと

想いをこめてみんなで3回唱えました。

 

aum

lokha samastah sukhino bhavantu

生きとし生けるものが自由で幸せでありますように

aum shanti

平和

 

偶然に多くの方々が昨日のクラスに来てくれたとはいえ、311という特別な日に、より多くの方々と想いを、祈りをともにできたことは嬉しく思います。

 

そして改めて2:46、ラジオで流れる式典の黙祷の合図とともに黙祷。

 

311の2:46

この一分間に、日本全国で、世界で、何万人、あるいは何億人の人が

同じ想いを、平和への祈りをともにしている

非常に特別な瞬間。

 

このとてつもない大きな祈りのエネルギーが

本当の平和につながってほしいと願ってやみません。

 

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それでも今年も花は咲く

 

aum shanti