おむすびという祈り

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わたしはおむすびが大好きです

梅が入って海苔を巻いたおむすび

この世で最も飽きずに好きなものかもしれない

海外へ数週間行って帰ってきたら何が食べたいって

母親のおむすびかなと思うくらい

実際ここ数年毎日のようにお昼ごはんはおむすびで

数年前までは毎日母親のにぎるおむすび

今は自分でにぎってお昼ご飯としてパートナーにも持たせて

パートナーもよくも飽きずに毎日食べてくれているなと思います

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おむすびって本当に奥深くて

手の平の真ん中のたなごころというところから

誰しも『気』なるものがでていて

その手の平の中でむすばれるおむすびは

その人の『気』がたっぷりと注ぎ込まれます

だから家族以外の人がにぎったおむすびは食べられないという人がいたり

誰が握ったかわからなくても

あるおむすびはどうしても食べられないという人がいたり

敏感に感じる人はそんな『気』まで感じ取れてしまうし

敏感でなくても母親や好きな人がにぎったおむすびは美味しく感じる

ごはんと塩と海苔と具が少し

こんなにシンプルだからこそ

とても奥深い

しみじみ美味しさを感じながら今日もいただくおむすび

そんなおむすびの大切さや素晴らしさを気づかせてくれたのは

佐藤初女さん

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今月の2月1日に亡くなられました

奇しくも私の祖母の誕生日

みんなのおばあちゃんのような偉大な存在でした

ご冥福をお祈りいたします

ちょうど3年前の今頃

初女さんのおむすびフェスタに幸運なことに参加することができました

https://amarananda.wordpress.com/2013/02/21/初女さんのおむすびフェスタ/

あのときあの年齢でまだまだ皆様のために働きたいとおっしゃていた初女さん

本当にマザーテレサのような存在でした

初女さんにお会いできて心からありがたく光栄に思いました

初女さんのおむすびを食べて自殺をとどまったという人

初女さんのおむすびや漬け物をいただいただけで精神的に救われた人

初女さんは何を語らずも

その存在とその手とその愛でつくられたいのちのたべもので

どれだけ多くの人が救われたか

どれだけ多くの人が癒されたか

おむすびというすごくシンプルなものにこれだけの祈りがこめられる

それは初女さんの生活すべてが『祈り』であったからであり

生活のすべてにその魂がこめられていたからだと思うのです

私も初女さんのように

おむすびに祈りをこめて

日々の生活をもっともっと丁寧に

心をこめて

生きていきたいと思います

まだまだ急ぎすぎている自分を反省しつつ。。。

初女さん

本当に素晴らしい気づきを

ありがとうございました

 

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SMAP解散劇のウラ

おとといの昼間にテレビをつけていたら、SMAPが解散を留まり謝罪生放送を行ったのがニュース番組で大きく取り上げられていました。そしてその後のニュース番組のトップニュースにもまた取り上げられ、世界のニュース番組で報道されるくらいの騒動でやはりSMAPは国民的アイドルなのだとか、キムタクがまるでみんなをまとめたヒーローみたいに報道されてたり、一人ずつの謝罪コメントをこと細かく解説したり、安倍総理がなんと国会予算委員会で「存続するのはよかった」とコメントをしたとか、そんなのを一通り見ながら、

 

「なんだなんだこりゃ?????」

 

と疑問に思ったのは私だけでしょうか。

 

だいたい、国会でそんな一アイドルの解散するとかしないとかの話を総理がするのも「はーーー?なんでここで??」って感じだし、ニュース番組のトップニュースに大きな時間を裂いて結局解散しなかった、たかが一アイドルのことを取り上げたり、新聞も一面にそんなニュースを報じていたりと、

 

意味がわからーーーーーーーーんん!!

どーなってんだマスメディアはこんなくだらんことで大きな時間とエネルギーを裂いて!!

もっと報道すべきことあるだろーーー!!

 

と私は一人で大きな疑問符を頭に抱えながらテレビのない自宅へ帰りました。

 

 

いつも、こういうどうしてこんなくだらないことがトップニュースになるのかってときは絶対

ウラ があって、例えば何か重要な法案を通そうとしているけどあまり国民に知らせたくないような内容のときに、くだらない政治家のスキャンダルをどこの紙面もテレビもトップニュースにしてその法案のことを目立たないよう隠し通したり、はたまたSMAP人気が落ちてきたから解散しようと見せかけて留まったというだけなのか、とか、色々考えていましたが、ネットで調べるとやはりいろんなウラがありそうです。

年金積立資金が株価暴落で何兆円だかの損失をしたとか

(これってものすごいヤバくない??何兆円もの年金失くなっちゃったって??)

中居くんが政治方向へ動こうとしたので潰しにかかったとか

5人そろって事務所をやめようと思っていたのにキムタクが裏切り者となり結局みんなとどまるはめとなったとか

 

 

調べると色々出てくるようなので、気になる方はぜひご自分でネットで調べてみてください。

どれがホントでどれがウソかわはわからないけど、

 

とにかく!

私の言いたいことは

 

マスメディアの言うことをすべて鵜呑みにしちゃだめってこと!

 

報道は嘘ではないかもしれないけど、ほんの一部しか事実を伝えてないのです。

今のテレビや新聞はほとんど政治の圧力がかかっていて、政治に都合の悪いことはフィルターにかけられてどんどん削られてほんの一部の今の政治にとって差し障りのないところまで削られて、もしくはねじ曲げられたり、見る側が違うように解釈するよう操作されたりして報道されているのです。ネットで調べると、えーー!??言ってることと違うじゃーん!ってことばっかりなのです。マスメディアと国はかたく結ばれているのですね。お国のコントロール下です。

 

だから、なんかこれおかしいなぁ、、、ってテレビを見ながら思ったら、それはおかしいのです。自分の感覚にしたがって、自分で調べてみると、やっぱりこっちの方があってそうだな、っていうところに行き着きます。もちろん、ネットの情報だってすべては正しいわけではなく、でも自分の感覚で、こっちだ!!と思えるその感覚を磨くというか、ものごとは一方向だけからしか見ていなかったら反対側はまったく違っていたよ、ってこともあるっていうのを国民の誰もが感覚的に感じる力をつけられたら、ロボットのように働く人は減り、自分の頭とハートで動ける人が増えるんじゃないかなと思うのです。

 

 

はー。。。久々ヒートアップしてしまった!

久しぶりに衝動的に書いてしまいました。

 

そんな気づきを与えてくれたSMAPに感謝!笑

 

 

だいたい、謝罪コメントのみんなの顔、キムタク以外みんな死んだような顔してたよね。

中居くんとかしんごくんとか、すごくやるせない顔してた。

言わされてる的な。

あの感じもすごくおかしいな、と思いました。

 

テレビを観るのも悪くないね。こういう気づきがあって!笑

 

 

 

 

 

 

 

 

 

醜いゴミから美しい灯へ〜ヨーガンレールのランプ展

展示室に入った瞬間

「わぁぁぁ。。。。。。」

なんと美しい。。。

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まさかすべてランプが海のゴミからできているとは。。

 

先週放映された「鶴田真由のキューバ不思議体感紀行」をはじめ昨年のミャンマー、一昨年のミクロネシアなど、真由さんがいつも愛用している衣装はヨーガンレールのものですが、そのデザイナーであったヨーガンレールさんが海から大量に上がってきたプラスチックゴミから制作したランプの作品展に行ってきました。

 

東京都現代美術館「ここはだれの場所?」展

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『醜いプラスチックのゴミを大量に見せただけではその恐ろしさを分かってもらえないのなら、私はそのゴミを使って、何か自分が美しいと思うものを作り出す努力をします。ただ美しいだけのオブジェではなく、もう一度人の役に立つ実用的なものに変えましょう。これは、ものを作ることを仕事にしている私の小さな抵抗です。それによって、この大量のゴミに目を向けてもらえるように。私はこれを自分の最後の仕事だと思っています。』

 

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自分の最期を無意識的か意識的かわかっていたのか、たまたまだったのか、そう言い残して、このプロジェクトが完成する直前の昨年秋にヨーガンさんは突然事故で亡くなられたそうです。

 

真由さんからも、ヨーガンさんと一緒にゴミを拾いに行った話などを聞いていたので、あまりの突然の死にまだお会いしたことがなかった私ですらものすごいショックと悲しみでした。近い方々の悲しみは途方もなかっただろうと想像します。

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色とりどりに美しく実用的にランプに姿を変えた大量のプラスチックゴミ。

よく見るとペットボトルの蓋やブイや網紐、人形の足、マヨネーズや洗剤のボトル、などなど、本当に浜辺にたくさん転がっているものたちばかり。そんなゴミを使ってこんなに幻想的で美しい空間になってしまうとは。。あっぱれでした。

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さすが「美」を追求し続け、地球環境の悪化に心を痛めていたヨーガンさんの集大成のような、本当に素晴らしく、そして心に強いインパクトを与えるような作品展でした。同時に、自分たちがいかに途方もない莫大な量のゴミを出しているか、改めて自分の生活や社会のあり方も見直すいい機会となりました。

むやみやたらにペットボトルやプラスチックの物を買ったりせず、安くてすぐ捨ててしまうような物をなるべく買わずに、なるべくゴミを出さない生活に、少しずつまたシフトしていきたいと思います。

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10月12日(月)まで展示されているそうなのでぜひ、

じかに見て、じかに感じてください!

 

 

東京都現代美術館

http://www.mot-art-museum.jp/exhibition/whoseplaceisithis.html

せんたくものと終戦記念日

8月15日

その日はよく晴れたのでせんたくきを3回もまわし、キッチンマットや冬のスリッパやタオルケットなど普段洗わないものも一気に洗った。お盆だから親戚の家にお線香をあげにいこうと、3時頃家を出た。

そのとき既にせんたくものはほとんど乾いていたけど、昨日夕方からたくさん雨も降ったし今日は降らないだろう、と勝手に決め込んで、乾いているにもかかわらず夕方帰ってきたら取り込めばいいや、と思って家を出た。

2軒ほどお線香上げにまわり、団らんし、さあもう6時になるし帰ろう、と30分かかる道を戻った。

途中の道から大雨が降ったあとのようになっていて、親戚の家のあたりでは快晴が続いていたのにまさか!?

と思って家に着くと、最悪なことにほとんど乾いていたせんたくものはすべてびしょびしょ。

涙。。。

 

 

はぁ。。

なんで取りこんでいかなかったんだろう。。

また洗えばいいじゃん、と思っても悔しさが繰り返し頭の中をよぎる。

自分の読みの甘さが悔やまれる。。

 

帰ったらすぐに今度は実家に向うことになっていたのでそのせんたくものは軒下に放置し、もんもんと車を走らせる。

 

 

と、ふと、

あ、今日は終戦記念日だった。

と思い出す。

 

 

70年前の今日、戦争が終わった。

そのときのことはテレビなどでしか知らないけど、広島や長崎をはじめ、東京も大空襲のあとで焼け野原、埼玉の実家のあたりも大空襲だったそうで、おそらく焼け野原だったのかもしれない。

70年ともあってメディアではあちこちで記念特番などをやっていて、改めてその想像を絶する悲惨極まりない地獄のような映像を見せつけられた。

 

そんな日のことを思ったら、今こうして豊かに生かされている私たちはなんて幸せなのだろうと思わずにはいられない。

せんたくものがびしょびしょになったことなんて、全くもって比べてはいけない対象かもしれないけど、そんな小さな小さなことで頭をぐるぐるさせていることがどうしようもなくくだらなく思えてしまうし、そんなことを考えていられるくらい70年前の今日の日と比べたら天国と地獄のような違いで、こうしていられることが本当にありがたく幸せなことだと思えてならない。

 

その夜は実家でペリリュー島などの終戦記念番組を見ながらご飯とお酒をいただき、そんな映像や体験者の信じられないような悲惨極まりない話を聞きながら、こうして家族だんらんで美味しいご飯をいただけることがどんなにか有り難く、幸せなことなのかと思わずにはいられなかった。

 

 

そしてまた今、二度と絶対に繰り返してはいけないとみんなで誓い、みんなで祈ったはずの日本が、なぜかまたその方向へ向かっているようにみえてならない。

 

その大きく強いうねりに巻き込まれないよう、流されないよう、自分の芯としっかりとつながり、自分の内側からまず平和に、家庭を平和に、そしてその平和のエネルギーがヨーガのクラスを通して伝わり、そこに来た人がそれをまたさらに広げ、それがさらにさらに広がっていくように、と、70周年を向かえた終戦記念日に、あらためて強く祈りました。

それがわたしにできる唯一のことかもしれないと。

 

 

 

常にこの世は陰と陽。

相反するエネルギーが存在することで成り立っています。

 

 

戦争へ向うエネルギーが強くなればなるほど、真逆の平和へ向うエネルギーもまた強くなります。

 

 

ある意味、平和ボケしている今の日本国民にハッと気づかせるための、

とてつもない大きな力がはたらいているのかもしれません。

 

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「個人の心や精神が平和であれば、やがて世界は平和になります。

あなたが平和でありさえすれば、家族を変え、世界を変えることができるのです。」

yogmata

 

 

 

日々の暮らしをホリデーに 

北ドイツに住むドイツ人の友人の家は、素敵な暖炉スペースがあったり、サウナがあったり、お庭も広くて、外にもダイニングスペースがあって庭を見ながら食事ができたりと、とてもとても心地のよい素敵な空間でした。

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その辺りのドイツ人家庭はみんなこんな感じなのかと思って尋ねてみると、こんな暖炉スペースなどはあまり見たことない、とのことで、どうしてこんなに素敵な空間になったのかを話してくれました。

彼らが若い時にお父さんが病気になり車椅子生活となってしまってから、簡単にどこかへ行くことができなくなってしまった。だから住まいそのものを『Holidayホリデー』の空間にしよう!と。それからどんどんと手を加えたりしてこんな素敵な家になったそうです。だから、あえてどこにもホリデーに行く必要がない、ここが一番リラックスできてハッピーだ、と。

 

 

私は世界や日本のいろんなところへ旅をしたり住んだりして、それぞれその場所に思い入れがありました。あの場所へまた行きたいとか、あの国へ行ってみたいとか、外にばかりに意識が向いていたように思います。

旅をし続けることが私の人生だ、とも思っていました。

 

それが、生まれ育った場所に戻り、そこで出逢い、結婚し、最も住みたくない、住むことはない、と思っていた地元に根を下ろすことになりました。

旅という旅をすることがほとんどなくなり、新しい住まいに住み始め、インストラクターとしての仕事と主婦業をこなす毎日を過ごす中、ふと、ドイツ人の友人の言葉を思い出したのです。

 

そうだ、家をホリデーの空間に、日々の暮らしをホリデーそのものにしよう!と。

 

週2回通っていた東京での仕事を1回に減らしたことで、経済的にはもちろんその分減りましたが、時間的にも精神的にもとても余裕ができ、もっと日々の暮らしを豊かにするためのからだとこころの余裕ができたように思います。

 

庭で咲いている花や枝を花瓶にさしたり

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久しぶりにみどりちゃんたちを増やしたり

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りんごから酵母をおこしてパンを焼いたり

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それをホリデーのようにブランチにしたり

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タルトを焼いてみたり

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生地からこねてピザを焼いてみたり

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縁側でヨーガしたり

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二階の窓から美しい夕焼けを眺めたり

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たまにはオフィスを公園にしてみたり

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そこでふと四つ葉のクローバーを見つけたり

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お金はそんなに多くなくとも、自分たちの時間と想像力とからだを使って、日々の淡々とした暮らしをもっと彩りのある美しく楽しいものにクリエイトできるのです。そして、毎日の生活の中にある美しい自然の瞬間にも、時間の余裕があるからこそ出会うことができるのだと思います。

それはあまりに仕事や時間に追われ過ぎているとできないことだなと、仕事を減らしてみてしみじみ感じています。

 

今ここにとどまりつつ旅をしているような

自由でリラックスできて心地よい時間と空間

 

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そんな空間づくりをただ今進行中です。

古い家を心地よいholidayのような空間に!

 

「間」とは

ではその「間」とは?

 
 
 

となんとなく先週からあれこれ考えていましたが

「間」をみるというのは、そこに無限のものをみる、しいては

「宇宙をみる」ということなのではないかと。。

 
 
 

「間(ま)」が見えるというか感じる瞬間というのは、「ふっ」と自分というものがなくなるというか、その空間に溶けいってしまうような感覚で、いつも完全に自分を取り仕切っている自我(エゴ)が消えてより大きなものの一部になってしまうような、そんな感じなのではないかなと思い始めました。自我が消えることでその空間そのものに、大きく言ってしまうと宇宙そのものになる、宇宙とつながるということなのではないかと。だから、その瞬間というのはその存在が限られた有限の存在から無限の存在に感じられるのではないかと。。

 

その瞬間を身体的にみると、身体の余計な緊張や力が抜けていながらも必要なところにだけはちゃんと力が落ちていて、それでいて芯、軸がしっかりとある。ヨーガのアーサナ(ポーズ)の型がビシッと決まった上に余計な力が完全に抜けるとプラーナ(氣)がスーッと全身を流れるのと同じような感じ。そして呼吸は深くありつつもその瞬間は吸ってもいない、吐いてもいないような、吸気と呼気の「間」のような状態。

 
 
 

前に読んだ斎藤孝著の「呼吸入門」という本に少し似たようなことが書いてありました。

能の「カマエ」について

「からだ全体の力を解放し、腰なら腰というただ一点に意識と緊張を集めすべての動きや発生のもとになる呼吸を調整して、舞台上のあらゆる行動における存在感といったものを把握することである、とでもいえばよいだろうか。」

(『観世寿夫著作集二 仮面の演技』より)

 
 
 

そんなことをあれやこれや考えながらヨーガと舞の練習をする今日この頃。

今日も平和に練習ができることに改めて感謝です。

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「間」

2013年3月、伊勢神宮でアマミ舞の奉納に参加させていただいてから早二年。

https://amarananda.wordpress.com/2013/03/24/伊勢神宮奉納終えて/

 

その翌4月からアマミ舞のお稽古から本格的な日本舞踊に切り替えてお稽古を続けてきました。

祖母の意思を引き継ぐという思いで始めた日舞ですが、この歳になって始めたせいなのか単なる私の覚えの悪さなのか、踊りの振りがとにかく難しくて何回やっても覚えられず、1曲仕上がるのに1年近くかかってしまうというなんとももどかしいものでした。それでいてやはりお稽古代やその他にかかる費用もかなりばかにならず、今からやったってプロになれるわけでもなく、一体何のためにやっているんだろうと何度も何度もやめようと思ったものでした。そして本当に昨年末にはやめようと心に決めかかったとき、2月に内輪だけの舞初発表会があるのでそこまで「青海波」を仕上げなさい、と師匠から話がありました。その日は奇しくも祖母の誕生日。これは初舞台にはもってこいの日だと思い、お稽古に拍車がかかり始めました。

 

昨年の5月頃から始まったお稽古「青海波(せいがいは)」。

青海波といえば

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この模様ですが、日舞の演目でも清元の「青海波」というものがあります。日本を取り巻く随所の海の景色や松の名所を唄った品のある曲で、お祝い事に舞われる祝儀舞踊。

師匠の舞った青海波を何度も何度も映像で見返し、やっとこさ最近になってすべての振りを大体覚えられてきて、つかえることなく通して踊れるようにようやくなってきました。

 

と、ふとこの間、何度も何度も繰り返し練習していたとき、

ふっ

と「間」を感じられたのです。

 

今までとにかく振りで精一杯、頭が一杯過ぎてそんな間など全くもって感じられたことがなかったのが、やっと振りの間(あいだ)に「間(ま)」が見えたというか、感じたというか、ヨーガで呼吸法を練習しているときのクンバカ(呼吸の静止)の瞬間のような、坐禅の時にふとおとずれる一瞬の空白、完全な静けさのような、そんな「間」を初めて感じられたのです。

 

あぁ、そういうことかー

すべて同じなんだ

 

何度も何度も同じことを繰り返し、最初は色んなところに無駄な力が入り過ぎてそこに囚われ過ぎて何も見えないけれど、繰り返すことでふっと力が抜ける瞬間がやってくる。そこで初めて見えなかったものが見えてくる。

 

昔、ほんの少しだけ華道を習いましたが、3本のメインの花をバランスよく差していくのですがその花と花の「間」がいかに大事であるか、ということ先生がおっしゃっていましたが、まさに日本文化はこの「間」の美しさ、「間」のあることの美しさなのではないかと思います。

 

振りで精一杯だったところからやっとその「間」が見えて初めて舞の奥深さ、面白さがやっと少しだけわかったような気がしています。そこから不思議とひとつひとつの振りにより微細な部分まで意識がいくようになり、余計な力が少しずつ抜けてきました。余裕と自信が出たのですね。

 

もう嫌だからとやめてしまっていたらもちろんそんな気づきは得られなかっただろうし、しかも何度も繰り返し繰り返しの練習をしたからこそ見えてきたものであって、今まで週1回やそれ以下で30分か1時間くらいしか練習しないのでは全く見えなかったものです。

 

これは全くヨーガの練習でも同じだし、何にでも通じることではないかと思います。

 

もうやりたくない、練習したくない、と思った時にやめてしまったらそれで終わり。今までの練習も無駄になってしまうけれど、その辛い時や投げ出したい時をこらえて越えた時に初めてぐーっと伸びる。心身共に何か壁を乗り越えられるような瞬間がおとずれるのだと思います。がんばって続けてよかった。

 

 

いい気づきを得られてさらに練習が楽しくなってきました。

ヨーガの練習も日舞の練習もさらに深めていきたいと思います。