せんたくものと終戦記念日

8月15日

その日はよく晴れたのでせんたくきを3回もまわし、キッチンマットや冬のスリッパやタオルケットなど普段洗わないものも一気に洗った。お盆だから親戚の家にお線香をあげにいこうと、3時頃家を出た。

そのとき既にせんたくものはほとんど乾いていたけど、昨日夕方からたくさん雨も降ったし今日は降らないだろう、と勝手に決め込んで、乾いているにもかかわらず夕方帰ってきたら取り込めばいいや、と思って家を出た。

2軒ほどお線香上げにまわり、団らんし、さあもう6時になるし帰ろう、と30分かかる道を戻った。

途中の道から大雨が降ったあとのようになっていて、親戚の家のあたりでは快晴が続いていたのにまさか!?

と思って家に着くと、最悪なことにほとんど乾いていたせんたくものはすべてびしょびしょ。

涙。。。

 

 

はぁ。。

なんで取りこんでいかなかったんだろう。。

また洗えばいいじゃん、と思っても悔しさが繰り返し頭の中をよぎる。

自分の読みの甘さが悔やまれる。。

 

帰ったらすぐに今度は実家に向うことになっていたのでそのせんたくものは軒下に放置し、もんもんと車を走らせる。

 

 

と、ふと、

あ、今日は終戦記念日だった。

と思い出す。

 

 

70年前の今日、戦争が終わった。

そのときのことはテレビなどでしか知らないけど、広島や長崎をはじめ、東京も大空襲のあとで焼け野原、埼玉の実家のあたりも大空襲だったそうで、おそらく焼け野原だったのかもしれない。

70年ともあってメディアではあちこちで記念特番などをやっていて、改めてその想像を絶する悲惨極まりない地獄のような映像を見せつけられた。

 

そんな日のことを思ったら、今こうして豊かに生かされている私たちはなんて幸せなのだろうと思わずにはいられない。

せんたくものがびしょびしょになったことなんて、全くもって比べてはいけない対象かもしれないけど、そんな小さな小さなことで頭をぐるぐるさせていることがどうしようもなくくだらなく思えてしまうし、そんなことを考えていられるくらい70年前の今日の日と比べたら天国と地獄のような違いで、こうしていられることが本当にありがたく幸せなことだと思えてならない。

 

その夜は実家でペリリュー島などの終戦記念番組を見ながらご飯とお酒をいただき、そんな映像や体験者の信じられないような悲惨極まりない話を聞きながら、こうして家族だんらんで美味しいご飯をいただけることがどんなにか有り難く、幸せなことなのかと思わずにはいられなかった。

 

 

そしてまた今、二度と絶対に繰り返してはいけないとみんなで誓い、みんなで祈ったはずの日本が、なぜかまたその方向へ向かっているようにみえてならない。

 

その大きく強いうねりに巻き込まれないよう、流されないよう、自分の芯としっかりとつながり、自分の内側からまず平和に、家庭を平和に、そしてその平和のエネルギーがヨーガのクラスを通して伝わり、そこに来た人がそれをまたさらに広げ、それがさらにさらに広がっていくように、と、70周年を向かえた終戦記念日に、あらためて強く祈りました。

それがわたしにできる唯一のことかもしれないと。

 

 

 

常にこの世は陰と陽。

相反するエネルギーが存在することで成り立っています。

 

 

戦争へ向うエネルギーが強くなればなるほど、真逆の平和へ向うエネルギーもまた強くなります。

 

 

ある意味、平和ボケしている今の日本国民にハッと気づかせるための、

とてつもない大きな力がはたらいているのかもしれません。

 

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「個人の心や精神が平和であれば、やがて世界は平和になります。

あなたが平和でありさえすれば、家族を変え、世界を変えることができるのです。」

yogmata

 

 

 

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