アサナの完成

少し前にアイアンガーヨガの本を読んでいたらこれだー!

と思うことが書いてありました。

パタンジャリのヨーガ・スートラからの引用で

 

『アサナはそれを行う努力が努力でなくなり

      内なる神聖に到達したとき完成する』(ヨーガ・スートラ11.47)

 

 

昨年の夏に「力を抜くこと」についてブログに書きましたが、

https://amarananda.wordpress.com/2014/08/29/力を抜くこと/

 

「そうなって初めて、解放されたような、自由になったような気になる。

力んでいるうちは「アーサナ」とは言えないのかもしれない。」

 

と最後に書きましたが、まさにこのパタンジャリの言葉どおり。

頑張って、力んで、努力しているうちはまだアーサナの完成とは言えないのですね。

あるアーサナを頑張って頑張って頑張って練習を続けていてある時ふっと力が抜ける瞬間、腑に落ちる瞬間、「間」が見える瞬間がおとずれたとき、それは瞑想的な瞬間であり、パタンジャリの言う内なる神聖性を垣間見る瞬間なのですね。

それは舞の練習をしている時も同じ感覚だったように思います。

ほとんどのポーズをとるのにまだまだ力が入ってしまうし、出来るようになるための努力をしていて、アーサナの完成にはほど遠いな。。とため息をつきたくなる気もしますが、それでこそ練習のしがいもあるもので、ただのポーズではない、ただのストレッチでもない、スポーツでもない、ヨガアーサナの奥深さを感じさせられます。

 

practice practice practice

all is coming

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