「間」

2013年3月、伊勢神宮でアマミ舞の奉納に参加させていただいてから早二年。

https://amarananda.wordpress.com/2013/03/24/伊勢神宮奉納終えて/

 

その翌4月からアマミ舞のお稽古から本格的な日本舞踊に切り替えてお稽古を続けてきました。

祖母の意思を引き継ぐという思いで始めた日舞ですが、この歳になって始めたせいなのか単なる私の覚えの悪さなのか、踊りの振りがとにかく難しくて何回やっても覚えられず、1曲仕上がるのに1年近くかかってしまうというなんとももどかしいものでした。それでいてやはりお稽古代やその他にかかる費用もかなりばかにならず、今からやったってプロになれるわけでもなく、一体何のためにやっているんだろうと何度も何度もやめようと思ったものでした。そして本当に昨年末にはやめようと心に決めかかったとき、2月に内輪だけの舞初発表会があるのでそこまで「青海波」を仕上げなさい、と師匠から話がありました。その日は奇しくも祖母の誕生日。これは初舞台にはもってこいの日だと思い、お稽古に拍車がかかり始めました。

 

昨年の5月頃から始まったお稽古「青海波(せいがいは)」。

青海波といえば

img_1

この模様ですが、日舞の演目でも清元の「青海波」というものがあります。日本を取り巻く随所の海の景色や松の名所を唄った品のある曲で、お祝い事に舞われる祝儀舞踊。

師匠の舞った青海波を何度も何度も映像で見返し、やっとこさ最近になってすべての振りを大体覚えられてきて、つかえることなく通して踊れるようにようやくなってきました。

 

と、ふとこの間、何度も何度も繰り返し練習していたとき、

ふっ

と「間」を感じられたのです。

 

今までとにかく振りで精一杯、頭が一杯過ぎてそんな間など全くもって感じられたことがなかったのが、やっと振りの間(あいだ)に「間(ま)」が見えたというか、感じたというか、ヨーガで呼吸法を練習しているときのクンバカ(呼吸の静止)の瞬間のような、坐禅の時にふとおとずれる一瞬の空白、完全な静けさのような、そんな「間」を初めて感じられたのです。

 

あぁ、そういうことかー

すべて同じなんだ

 

何度も何度も同じことを繰り返し、最初は色んなところに無駄な力が入り過ぎてそこに囚われ過ぎて何も見えないけれど、繰り返すことでふっと力が抜ける瞬間がやってくる。そこで初めて見えなかったものが見えてくる。

 

昔、ほんの少しだけ華道を習いましたが、3本のメインの花をバランスよく差していくのですがその花と花の「間」がいかに大事であるか、ということ先生がおっしゃっていましたが、まさに日本文化はこの「間」の美しさ、「間」のあることの美しさなのではないかと思います。

 

振りで精一杯だったところからやっとその「間」が見えて初めて舞の奥深さ、面白さがやっと少しだけわかったような気がしています。そこから不思議とひとつひとつの振りにより微細な部分まで意識がいくようになり、余計な力が少しずつ抜けてきました。余裕と自信が出たのですね。

 

もう嫌だからとやめてしまっていたらもちろんそんな気づきは得られなかっただろうし、しかも何度も繰り返し繰り返しの練習をしたからこそ見えてきたものであって、今まで週1回やそれ以下で30分か1時間くらいしか練習しないのでは全く見えなかったものです。

 

これは全くヨーガの練習でも同じだし、何にでも通じることではないかと思います。

 

もうやりたくない、練習したくない、と思った時にやめてしまったらそれで終わり。今までの練習も無駄になってしまうけれど、その辛い時や投げ出したい時をこらえて越えた時に初めてぐーっと伸びる。心身共に何か壁を乗り越えられるような瞬間がおとずれるのだと思います。がんばって続けてよかった。

 

 

いい気づきを得られてさらに練習が楽しくなってきました。

ヨーガの練習も日舞の練習もさらに深めていきたいと思います。

 

 

 

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