新月の冬至

先日12月22日は冬至であり、新月でもありました。

月を意識し始めてから冬至に新月が当たるのは初めてなような気がして、何か特別の日のような気がするな、と思っていたらやはりそうだったようで、冬至と新月が重なる稀にみる天体の配置だったそうです。

 

知人いわく

「冬至と新月はそれぞれ「太陽」と「月」、「死」と「再生」を象徴しており、今日は今年一年を振り返りながら内省し(死)、来年に向けてのビジョンを打ち立てる(再生する)とても重要な日であり、同時に2015年が天体の力も相まって非常に大きな変化=進化の年となることが予想されます。
現状にしがみついたり固執することなく、変化を通じて成長・進化していくことで、自分にとっても皆さんにとっても2015が創造的で素晴らしい一年となりますように頑張っていきましょう!」

 

知人に影響されて、その日は家の大掃除をし、家の各方向に

「祓いたまえ清めたまえ」

と唱えながら浄化のお塩とお米を撒き、神棚をお掃除し、呼吸法をして瞑想をしました。

家の外も中も、自分の外も中も、とても清々しく清められ、

スーっと軸が調えられた気がしました。

 

 

そして夜には柚子湯。

IMG_5360

柚子のアロマにとても癒されました。

 

今年も残すところあと1週間。

からだもこころも調えて新たな年を迎えたいと思います。

 

 

 

 

<知人のことばより>

今日は「冬至」と「新月」が重なる希に見る天体の配置であり、太陽と月が共に【死と再生】(進化=創造的破壊と創造)を象徴しており、それが重なることは、まるで2015年を占うかのようです。

〈冬至の象徴的意味〉

日本では、祝日の勤労感謝の日(11月23日)は神道における年内行事でもっとも重要とされる「新嘗祭」が行われます。今年収穫できた新米を神様と一緒に食事をすることで一年に一回のエネルギー更新を図る祭祀儀礼なのですが、一説に拠れば古代においては冬至の日に行っていたのではないと考えられています。本来、冬至の日の日没より斎み籠もって、太陽霊の憑りつくのを待ち、陽の極まる果ての亥の刻(午後10時)に、日神の霊威のこもる稲魂を体して霊性を完成し、若々しい日の御子ニニギノミコト=皇孫としての「太陽の復活」とともにこの現世に顕現するということを儀礼で表現しているというのです。

また、12月25日にお祝いするクリスマスも、当時のローマ帝国では太陽を崇拝するミトラ教がもともと普及しており、その主祭日が冬至との関係から12月25日に祝われていました。そこに当時は新しかったキリスト教ががリンクし、つまり太陽をキリストの隠喩として捉え、十字架に磔になってから復活するまでの過程を冬至になぞらえたというわけです。

このように古今東西、冬至という日は「再生・復活」の象徴としてお祝いされてきたわけです。

〈新月の象徴的意味〉

また、新月には清め改める(死と再生)という意味合いがあります。心の中にある要らないものなどを洗い流し清め(死)、新たに始まるひと月をスタート(再生)させる日とされています。

ということで、今日は今年一年を振り返りながら内省し(死)、来年に向けてのビジョンを打ち立てる(再生する)、とても重要な日であり、同時に2015年が天体の力も相まって非常に大きな変化=進化の年となることが予想されます。

現状にしがみついたり固執することなく、変化を通じて成長・進化していくことで、自分にとっても皆さんにとっても2015が創造的で素晴らしい一年となりますように頑張っていきましょう!

 

 

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