生と死と〜ミャンマーへ

ここ最近、自然災害による被害が日本中のいたるところで起こっています。

先日の御岳山噴火で尊い命を落とされた方々に対して、心よりご冥福をお祈りいたします。

ご家族や愛する方が突然、不意に亡くなってしまうことがどれだけの深い痛みか

想像するだけで胸が苦しくなります。

一昨日、ある方が事故で亡くなったという知らせを受け

一度お見かけしたくらいの方なのですがものすごいショックと悲しみを感じています。

特に相手が自然や、どうにも理由がつかない不慮の死など

どこにもぶつけようのない悲しみとどう向き合っていったらいいのか。

これは私たち人間にとって永遠の課題なのかもしれません。

この世に生まれて必ず最後は死ぬとわかっていても

その死が近づいたり、突然おとずれてくると

私たちはどうにもできない恐怖や悲しみの思いに苛まれます。

そういう時に、昔から拠りどころにされてきたのが宗教だったのではないかと思います。

「宗」=  根本の 教え

今の「宗教」とされているものは、それを利用して人々をコントロールしたり権力争いをしたり

果たして根本の教えを忠実に伝えるために存在しているのかどうか

疑問に思うところは多々ありますが

お釈迦様やイエス・キリストなど本来の教えはそうした拠りどころとなるものではないかと思います。

 

来週からミャンマーへ3週間ほどTV番組のロケに同行します。

ミャンマーは仏教国であり、ほとんどのミャンマー人が非常に敬虔な仏教徒だそうです。

僧侶に惜しみなく施しをし、仏の教えを勉強し、常に寺院へ出向いてお経をあげる。

輪廻転生を信じ、来世により高いステージで生まれ変わるために善い行いをする。

私たち日本人と仏教の関係とはまるで違う、生活のど真ん中に仏教が据えられているようです。

ここ最近になって資本主義が入ってきて急激に物質的に発展しているようですが

未だに貧しく、医療設備などはまだまだ行き届いていないため

物質的な”先進国”である日本などより不慮の死や病が非常に多いからこそ

人々の深い心の拠りどころとして未だ仏教が強く存在しているのではないかと想像します。

そうした揺るがない心の深い拠りどころがあるからこそ貧しくても日々を精一杯生きられ

死と生が隣り合わせに生活の中に存在し「死」を意識して生きているからこそ

「生」を全うできるのではないでしょうか。

物質的には”先進国”である私たちが見習うべき、思い出すべき大事な心の部分を

物質的な”発展途上国”の彼らは持っているのではないかと思います。

ミャンマー人たちと仏教の深いつながり、「死」の捉え方など

心の深い部分を感じ取れたらと思いながら

3週間ミャンマーへ行って参ります。

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