死を意識して生きる

3.11からもうすぐ一年。

最近また地震がよくある。昨日の朝の地震は最近にしては結構大きくて長かった。とても長く感じて不安がわき起こる中、ふと、

 

「もしかしてこれで終わりかもしれない」という気持ちがよぎった。

 

一瞬にして、

「これでもし終わりだとしたら、私は後悔をせずに死んでいけるだろうか?」などと考え始めた時、こうして、久しぶりに実家で過ごすことができて、家族とともにいけるのなら、それも幸せだと思った。

 

 

もちろん、これからやりたいこと、将来のヴィジョンのようなものはあるから、実際に死んでしまうとなったら後悔の念で死にきれないのかもしれない。けど、昨日の地震で今日死んでもいい、と素直に思えたのはよかったと思う。

 

 

実際のところ、私たちは生まれた時から死に向かっていて、今日の今日、明日でも、いつでも死がやってきてもおかしくはない。

 

 

マイケル・ジャクソンは “Jam” という歌で、

“We must live each day like it’s the last”

(ボクらは毎日を最後の日と思って生きなければならない)って唄っている。

 

 

チベット仏教でも「死」について瞑想する。「死」を心が静まっている状態で意識(体験に近い感覚)することで、より日々の「生」が尊く貴重なものとなる。

 

 

3.11直後、わたしたちは「死」に直面し、このままでいいのか、これからどう生きたらいいのか、と誰もが迫られた。あれから一年経とうとしている中、その意識はだんだんと薄れてきたように思う。多くの犠牲となった命を無駄にしないためにも、わたしたちは日々生かされていることに感謝して、毎日を最後の日と思って生きたい。

 

 

こないだ友達が教えてくれたニュースで、死を間近に控えた人々が口にした後悔の中で多かったものというのがあげられていた。

「自分自身に忠実に生きればよかった」

「あんなに一生懸命働かなければよかった」

「自分をもっと幸せにしてあげればよかった」など。

 

「死ぬ前に語られる後悔」(以下をクリック)

http://youpouch.com/2012/02/06/53534/

「死」をどう迎えたいか意識することは、今ある「生」をどう生きるか、より生きた「生」を生きることにつながる。

 

 

yogaをはじめ、仏教や瞑想、坐禅などいろんな霊性修行を少しずつしていることが「生きる」ことに役に立っていて、やってきて良かったと改めて思う。また、それをできる環境にあることがまた本当にありがたいことで、それを与えていただいているすべての方々に改めて感謝です。

観音菩薩の涙から生まれたターラ white tara

 

 

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